苛立ちの話
誰でも生きていれば気に食わないことってあると思います。
通勤電車で喋り散らかすおばさんや目的地に着いたのにメーター回るまで止まらないタクシーとか……
人によって何にどれだけ苛つくかは違ってきますね。
僕はカツカツと足音を立てて歩く人が苦手ですし、自分が早く乗りたいがためにエレベーターの身障者用のボタンを押す人が嫌いです。
こっちが10階から1階までノンストップで気持ちよく降りられると思っているときに3階で止まって、ドア開いたら誰もいないときは「急いでるんなら2階分くらい階段の方が早くない?」とか思ったり……
こう……しょーーーもないことに苛ついていました。
こういうのって自分の基準に照らしあわせて、そこから外れたもの、気に食わないものに公衆道徳とか倫理を理由にして怒っているんですよね。多分、少なくとも僕の中ではそうです。
ということは相手には相手の基準があるわけで、「俺が早く乗りたいから普通のボタンに加えて身障者用のボタン押してもええやろ!二台エレベーターくるけど俺は乗らないし!」という基準の人も居るはずです。
そこに対して何言っても無駄なんですよ、感覚が違う人なので。ましてや見ず知らずの人から何か言われて思い改めるか?ポイ捨て注意された人が二度とポイ捨てしなくなるのか?という話で。
苛立つだけ無駄なんだなって答えに至ってからは、心の中で「何か不幸な目にあってしまえ!」って叫んでから「自分はこういうことしないでおこ〜〜」って思うとイライラすること自体減った気がします。
追伸:電撃イライラ棒って響き、少しえっちじゃないですか?